節分の豆まき行事や恵方巻きを食べることは知っていても、どうしてこんな風習ができたのか知っていましたか?
昔は豆まきではなかった!
むかしは節分の日はイワシを食べる習慣があったそうです。
節分の風習は平安時代にさかのぼります。
目次
節分の由来
2月3日は節分ですが、節分とは季節を分ける、すなわち季節が移り変わる節日を指します。
もともとは1年に4回、立春・立夏・立秋・立冬それぞれの前日にありました。ところが、日本では立春は1年の始りとして特に尊ばれたために、次第に節分といえば、春の節分のみを指すようになったようです。
鬼を追い払う行事として節分の歴史は古く、平安時代の初期頃から行っている鬼払いの儀式が始まりです。宮中行事である”追儺(おにやらい)”として大晦日(旧暦12月30日)の宮中の年中行事でありました。
方相氏(鬼神)と呼ばれる鬼役が手下役の役人を引き連れて宮中をまわり、厄を払うものでした。鬼は疫病を象徴しており、鬼の姿をした疫病を弓矢で追い払うことで、病気の流行を封じ込めようとしたものです。
節分の風習
節分の日は炒り豆を用意して、玄関にはヒイラギとイワシの頭を飾る風習がありました。
これも平安時代に始まったもので、ヒイラギのトゲが鬼の目に刺さって近寄れないようにする意味があるそうです。
また、イワシの頭は、その臭いに驚いて鬼が逃げるからだとか伝えられています。
もう一つ、桃は厄除けの力があり、厄除けの果実として不老不死の実であると考えられていました。ヒイラギや桃の枝の他に、にんにくやねぎを吊るす地方もあるそうです。
豆まきの由来
豆まきはもともとは中国明時代の風習で日本には室町時代に伝わりました。
炒った豆を、年男が鬼は外、福は内、と言いながら撒いていました。
年の数だけ豆を食べる風習もありますが、それは節分を「年取りの日」といって、この日に1つ年を取ると考えていたのでそのような風習が生まれたと考えられます。おばあさんの時代も誕生日ではなく、新年を迎えると1つ年を取ると言っていましたね。
恵方巻きの由来
恵方巻きは太巻き寿司を節分のその年の方向(恵方)を向いて、無言で目を閉じて食べると縁起がよいとされています。
いつ頃から?
恵方巻きは江戸時代末期の大阪の船場で商売繁盛の祈願をする習慣として、始まったと言われていますが定かではありません。
関西では一般的な風習ですが、全国に知れ渡ったのは、1990年代前半に一部のスーパーや1990年代後半コンビニで全国で販売されるようになり、節分の日には恵方巻きを食べる習慣が全国に広まりました。